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本州での桜の季節の終焉から シバザクラやツツジがその主役を引き継ぐ頃合いにかけては、そのまま夏になってしまうのではなかろうかと思うほど、ぐんぐんと陽射しも強まり暑さも増して。気の早い人々は、早々に半袖姿になってしまうことも珍しかないのだが。それがふっと、雨や何やで途切れた拍子、失速したように肌寒さが戻って来るのがなかなかに くせ者。ついうっかりと軽装でいたり、寝苦しいからと寝具を夏物に替えていたりすると、覿面(てきめん)軽く風邪を拾いかねないのでご用心。殊に、今は世情が世情ですからねぇ。
「?? 世情が世情?」
「ま、まあまあ、チョッパーせんせえは こっちの世界のお話にだけ集中して。」
そうでした、お医者がいたんでした。こっちはこっちで そっちはそっちなので悪しからず。花のグランド・ジパングも、桜が終わるとツツジだねぇ、アジサイもあちこちでそろそろ蕾が出始めているよなんてことが、お天気の話題のおまけのように語られている頃合いではあり、
「それにしても今朝方は冷え込んだねぇ。」
「空気の乾いてる時期は、夜のうちに地熱がどんどん逃げるからな。」
だから、そういう朝方の寒さは、昼間いい天気になる兆しでもあるんだぞと。さすがはお医者の先生だけはある、ありがたい蘊蓄を聞かせてくださったのは、先にお名前が出ましたところのトナカイドクター、チョッパー先生だ。濃緋の山高帽から丸みの愛らしい角を出し、とはいえ着ている物は 和装の単(ひとえ)の重ねと袴というのが、この藩(くに)ならではないで立ちで。そんな先生の傍らには、ただでさえ ちみっこな彼がますます小さく見えてしまう、蚊トンボみたいに長い手足をした若いのが並んでいて。
「いい天気になるならありがたい。先週みたいな雨続きんなると、親分がパッチへ泥を跳ね上げなさるんでな。」
泥汚れは時間が経って固まってしまうとなかなか落ちない取れない代物。だってのに、本人はそういうことへ構わない性分なので、その程度の汚れは気にせずに、ざっとしか手入れなさらなかったりするので、
「みっともねぇったらありゃしねぇ、お前がついてんだ気をつけてやらねぇかって。ゲンゾウの旦那に叱られんのは俺なんだよなぁ。」
「あはは、そりゃあ大変だ♪」
そこは笑うところじゃないってと、しょっぱそうなお顔になった若いのは、町奉行配下の同心、ゲンゾウの手下でウソップといい、だが、ゲンゾウの旦那に直接お世話になっているのは、丁度 話題に上がった彼の親分にあたる人。麦ワラ帽子を背中へ負って目印みたいにしている岡っ引き、そこから麦ワラの親分とも呼ばれてる、ルフィという親分さんだ。泥はねへも頓着しないほどの大雑把な性分なのも頷けて、まだまだ十代という若い身で、自分が住まう下町一帯を中心に、東方区域の治安を守る“岡っ引き”の名代を継いだお人であり。若いだけあってそりゃあ元気で、機動力も半端じゃあない。尻に火がついたような勢いで、スリやかっぱらいを追っかける姿はもはやご城下の名物になってさえいるほどだし、
「先だっての門前の盆栽市では、
賽銭箱ごと持ち逃げしかかったとんでもねぇ盗っ人を、
あのゴムゴムの技で見事取っ捕まえたっていうじゃないか。」
忘れちゃいけない、ルフィ親分は子供のころに悪魔の実を食べてしまった“能力者”で、その身体がゴムみたいにどこまでも伸びる。あと、ぶつけたり殴られたりしてもあんまり堪えないのだとかで、そういう体質を生かした必殺技もたくさん持っていて。こいつめっと見据えたスリや引ったくりは取り逃がしたことがないってほどだ…が。
「それだけなら褒められるばかりなこったがよ。
植木屋が苗やら鉢物やら売りもの並べてたひな壇を、
勢いに任せて がんがらとぶっ壊しちまってな。
弁済に随分と金が要ったんで、ゲンゾウの旦那が青い顔になっちまった。」
こっちも忘れちゃいけないのが、そのあまりの無鉄砲さの余禄、お手柄の上をゆく破壊行為も問題なお人だってこと。まま、直せるもんはウソップも手伝って修繕にかかるし、町の人々もある程度はご愛嬌で済ませてくれるほど慣れちゃあいるが、だからって最初っから甘えるわけにもいかず。よって、何か壊すたびにゲンゾウの旦那の胃痛がひどくなるって寸法。
「大手柄ではあったんで、奉行所やら寺前の商人衆やらからも報奨金が出るって話らしいから、夜逃げするほどの痛手にゃあならないそうだが。」
毎回毎回これじゃあなって、旦那も溜息ついてらしてよと。困り事の報告のはずだが、それでもウソップの表情は明るいし、きっとゲンゾウの旦那だって、はらわた煮え繰り返るほども怒っているわけじゃあなかろうて。どれもこれも一生懸命が呼ぶ落ち度。それに、もっと大きな事件へも、そりゃあいっぱい活躍しているルフィ親分だから、ご城下に知らぬ者なぞいないくらい。そんなちょっとした英雄でもある親分を、実のところは自慢にもしているらしいこと、やっぱり周囲の人々にはお見通し。
「で? その親分は今日は一緒じゃあないのか?」
相長屋のチョッパーが向かっているのは勤め先の療養所へだが、そんな彼が出掛けるおりに、親分はもう長屋にはいなかった。途中の辻で出会ったウソップも一人で歩いており、途中までの通りを一緒に歩きながらの会話だったが、
「それなんだがよ。
昨夜は夜回りの当番だったわけでもねぇのに、
親分、番所へも顔を出さねくてのそのまま、足取りが掴めなくなっちまってな。」
わざわざちょっっぴり腰を屈めると、もっともらしく小声になったウソップであり。え?と意外そうなお顔になったチョッパー先生が立ち止まったのへ、
「今朝早くに引き継ぎにって出向いた番所でも、まだ来てねぇって言われてな。」
寝坊してんなら叩き起こしてやれって、今朝の引き継ぎの当番だった同心の旦那に笑われたんだが、それじゃあ昨日の夕方からこっち、一晩そのまま行方が知れねぇってことンなる。まあ、親分もあれでいつまでも子供じゃないんだからよ、そろそろ夜遊びの1つでも覚えたのかも知んねぇが。ここまでを鹿爪らしい御面相で並べ立てたウソップは、
「だったらだったで、なんで おいらを誘ってくれねぇんだよな。」
「…そこか、そこなのか心配なのは。」
お約束ですがな。(笑) 冗談はともかく。何かややこしいことへ首を突っ込んでなきゃいいんだが、ま・そうそうしょっちゅうあれこれ起きもしなかろから、大仰に案じるなとはゲンゾウの旦那からのお言葉で。
「大方、晩飯の焼き魚を咥えてった猫でも追いかけて、迷子にでもなっての末に、他所んチで宿を借りてんのかも知れねぇし…ってよ。」
「それは…ありそうな話だな。」
英雄だったり迷子だったり、一体どう思われてる親分なんだか。(笑) 先週の雨とやらに、ぴっかぴかに磨かれたようになった青空には、つーいついとツバメの姿も見えており、町は一気に新緑の季節を迎えている。商家が軒を連ねる大通りは そうそう代わり映えもしない見栄えだが、ちょこっと裏の辻へと入れば、家家の庭を飾っているのだろ木立ちの先や茂みの端っこなどが板塀の上や隙間からも覗いてる。萌え初めの若葉の、柔らかい緑の発色のよさは格別で、
「あれってホントに美味そうな色なんだよなぁ。」
「…そういや、先生はトナカイだったよな。」
そうかそうも見えるのかと、今更に気づいたウソップが、何だよいけないのかよと、真っ赤になった先生から食ってかかられたのを誤魔化しがてら、
「じゃ、じゃあ、植木市なんて、もしかして御馳走だらけに見えんのか?」
誤魔化せてないぞ、ウソップ…。(う〜ん) 悪気があった訳じゃない、純粋に不思議なことよと思っての言いようなのは何となく判るので、小さな蹄で向こう脛をばこんと一発殴って勘弁してやったものの、
「…あれ? なあなあウソップ、あれって…。」
「痛ててててて………。何ですかい、先生。」
一発で勘弁て、その一発の場所と痛さが半端ねぇんですけれどと、片膝ついての うずくまりながら応じたウソップも。顔を上げたその先に見えたものへと納得がいく。通りと通りが合わさっている三叉路の、向こうからやって来たお人がこっちへ横顔見せて通過中。お元気そうな童顔を、何かしら楽しそうな笑みに染め、いつもの赤い格子柄の着物、けれど尻はしょりはせずに着ている彼こそは、
「親分じゃねぇですか。」
何だよもう、こんなところを歩ってたんですかい? 今日はお休みじゃあないでしょに、一体どこまで遠くへ伸してたんですようと。痛い脛を摩り摩りの駆け寄りつつ話しかけたところが、
「〜〜♪」
「…って、親分?」
掛けた声への反応どころか、こちらには一瞥もくれることなく。歩調も変えぬままにすたすたと、そのまま通り過ぎる彼であり。
「…ウソップ、実は親分と喧嘩でもしたのか?」
「し、してねぇってっ。」
あまりに見事な“眼中になし”扱いだったので。チョッパーが呆れて声を掛けるまで、ウソップ自身もちょこっと凍りつきかかっていたほどで。脇見よそ見の多い親分だが、だからこそ こんな風に横合いから掛けられたお声には、いつもだったら敏感で反応もいいのが常なのに。
「♪♪♪」
こちらでも先のどこかで何かしらの市でも立っているものか、板塀の続く通りだってのにその両脇にぽつぽつと屋台が連なり始めてて。小ぶりな盆栽の鉢やら苗に青物、そうかと思や駄菓子の飴やら風車など。平台に並んでいるのを、楽しそうにいちいち覗いている親分であり。そんな無邪気なところはいつもと同じ。なのに、知り合いへの愛想を忘れるなんて、これはやっぱり……
「なんでまた、おいらの方が非難されなきゃなんねぇんだよっ。」
帰って来ねぇの、これでも案じてたってのにと。どこかわざとらしくも目元を眇めて、疑わしいものでも見るかのような態度になったチョッパーへ、そんなのお門違いだと憤慨したウソップ。大股に急いでっての追いつくと、今度は張り小細工のおもちゃの屋台へひょこりとその首伸ばしてる、見慣れた背中へと追いついて、
「親分、一体どうしちまったんですよ。」
「……え?」
ぐいと薄い肩を引いての振り向かせれば。お楽しみの途中というお顔のまんまにこっちを向きはしたものの、その笑顔をそのままにしての、返って来たお言葉はといえば、
「えっと……そちは誰だ?」
………………はい?
お顔は依然としての 全開でにっこにこしたまんま。だがだが、
「お、親分?」
「そうじゃ、余は るひー親分じゃ♪」
「絶対に親分じゃねぇってっっ!」
だよねぇ、きっと。(う〜ん、う〜ん)
あ、タイトルは、
月夜見 “親分は若様?”で ヨロシク!(おいおい)
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*船長BD記念作品、今回も親分噺でもにぎやかしをと思ったのですが、
ちょこっと尺が長くかかりそうです。
よろしかったらお付き合いのほどをvv

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